室町時代から江戸時代の茶道の歴史を振り返ってみます。
すでに一般の人の間でも茶の習慣が広まっていきました。
ただ、室町中期になると幕府の財政が苦しくなると次第に茶の習慣も下火になっていきます。
室町中期の茶人に珠光という人物がいます。
珠光は八代将軍足利義政に招かれた茶人で、これまでの華やかな茶会ではなく落ち着いた簡素な茶会を目指した人物です。
彼の茶の精神が後の武野紹鴎の「わび茶」に繋がったといわれています。
1502年、珠光が亡くなった年に生まれた茶人武野紹鴎によって「わび茶」が始まりました。
これは珠光の茶をより簡素にしたもので心から誠意をもって客を招く茶です。
千利休の出現により「わび茶」が完成されました。
利休は武野紹鴎に師事し茶の湯の修行に励むと同時に、新たな茶道具の開発にも力を注ぎました。
利休は織田信長、豊臣秀吉に仕え、茶の湯を知らなければ武士でないくらいに茶道を盛んにしました。
千利休の死後、古田織部(1544−1615)が後を継ぎました。
そして、利休の弟子たちの中で特に古田織部、細川忠興(三斎)、高山右近、蒲生氏郷、牧村兵部、芝山監物、瀬田掃部が利休七哲と呼ばれ武将茶人として活躍していました。
徳川家康の天下統一後、古田織部は家康に切腹命じられました。